大木 : 青山監督が『路地へ』を上映するにあたってしたためた言葉を紹介します。「中上はかつて『路地はどこにでもある。俺はどこにもいない』という謎の言葉を呟いた。今その意味を曲解すれば、世界の至る所に『路地』と同様の宇宙はあり、自分はその間を常に移動し続けている、と読むことができる。この『ある』ということと『移動』の交差こそ、小説家・中上健次の基本的な運動姿勢かもしれない。しかしそれは現在われわれが作ろうとする映画そのものとあまりに似ていはしまいか。」では、青山監督、どうぞ。
(青山監督、登場)
「映像が残っているからいいじゃない」、と思ってほしくない
大木 : 中上が意味した路地は被差別部落における路地であり、今回開発で問題となっている下北沢の路地とはおのずと違うわけですが、青山監督は「中上健次がいなかったら、あるいは九州で起こったバス大量殺人事件の記憶がなかったら映画を撮っていなかったかも知れない」と語っています。そこらへんから下北沢の路地とを交差させて話を進めたいと思っています。
青山 : まず、この映画は今日ここで上映されるべきではないと本当は思っていたのです。路地は失われても映像が残っているのでそれを観ていればいいじゃない、と思ってしまわれるのが嫌だなと思ったからです。
84年ごろにやった講演を活字化した『現代文学の方向』という本のなかで、中上が「今書こうとしているテーマそのものが目の前から失われていくような小説家が今までいたか」と、ほとんど激昂したようにしゃべっていた部分があります。中上が演出したこの16mmはその時期と重なっていました。路地がどんどん失われていく過程、つまり山が削り取られて立ち退きが行われ道が敷かれて野原になって、そこに白亜の集合住宅が建てられていく。しかも、その工事に中上のお姉さんの兄弟、義理の父親の会社が参加していく。廃屋に寝泊りしてその過程を小説に書いていた。この映像は、やむにやまれず撮ったものです。中上が哀愁、郷愁などの余地のない切迫した状況で撮ったものです。この映画は無念の記念碑で、そのような無念を作っていくのが、悪い言葉ですが「土建国家」のあり方です。この映画を上映することはひとつの抵抗な訳で、抵抗じゃない上映はすべきでないと思っています。その姿勢で上映しよう、と言った大木さんに了承して、今日こうやって出て来て喋ってもいます。
大木 : ありがとうございました。紀州の被差別部落で育った中上健次が撮ったフィルムを使った映画ですが、同じ紀州出身の井土紀州さんに道案内をさせるわけですよね。そこで、中上健次のフィルムが流れるとき、路地の花や木や風が息づいているのが伝わってくる。それを感知すると、切なくなってきます。そういう中上の悲哀を五体で受け止めた青山の路地への慈愛を込めたドキュメンタリーだと思います。